
オステオパシーの歴史

アンドリュー・テイラー・スティル(Andrew Taylor Still M.D.)
オステオパシーは、米国人外科医師、アンドリュー・テイラー・スティルM.D.によって考案され、作られました。
スティル医師は、自分の子供数人を流行性の脊髄炎で失くしました。
スティル医師が最善の努力をし、治そうとしたにもかかわらず、自分の子供を死なせてしまった事により、自責の念と、本当に病気を治せる医者になりたいという気持ちが高まってきました。
彼は解剖学を学び直し、人はどうやって体を治しているのか?と考え続けました。
長年の研究の末、スティル医師はいくつかの結論に至ることができました。
・身体は全体で一つのユニットである。(全ての部位は相互に関係しあっている)
・身体は自己治癒能力を持っている。
・動脈血の循環は最も重要である。
・機能と構造は相互に関係している。
1874年、スティル医師は疾病や疼痛を治す医療システムとして、「オステオパシー」を発表しました。

ウィリアム・ガナー・サザーランドD.O. 頭蓋オステオパシー
スティルの愛弟子であったWGサザーランドD.O.が開発した技術です。
頭蓋骨と脳は膨張と収縮を繰り返していて、それはあたかも呼吸をしているような動きである事を発見しました。(CRI:頭蓋リズムと呼ばれています。)
数十年の研究の結果、その動きを手で感じ、手で刺激し、活性化させる事ができる事を発表しました。
頭蓋骨は動かないと思っていた当時のオステオパスからは、最初のうちは批判をされていましたが、サザーランドD.O.の開発した技術によって、多くの難病が治っていくのを見て、最後には認めざるを得なかったという話です。
オステオパシーの歴史の中でも、この中枢神経系の運動性についての考察は、非常に大きいものである事は疑いありません。
この発見から、さらに筋骨格系を含む全身の呼吸様の運動の発見と、治療法の開発につながっていきました。

ジャン・ピエール・バラルD.O. 内臓オステオパシー
1970年代からイギリスからオステオパシーを学んだ人たちが、フランスにオステオパシーを広めていきました。
その中に、ジャン・ピエール・バラルD.O.がいて、彼は類稀な触診能力で、内臓の自発的な動きを発見し、内臓を調整する事で、自律神経系、筋骨格系などに多大な影響を与える事ができる事を発見しました。
さらにアラン・クロワビエD.O.と共同研究をし、末梢神経へのマニピュレーション、血管のマニピュレーション、全く新しいスタイルの関節へのマニピュレーションなどを開発しました。
現在、彼は70代ですが、今でも世界中を飛び回り、新しいオステオパシーを教え続けています。
日本のオステオパシー専門校、Still Academy Japanが開校に至ったのは、彼の助力がありました。